「森と子どもとアーティスト」エピソード

太宰府での「森と子どもとアーティスト」のきっかけとなった天草での制作を振り返ってみる。天草では陶芸で作品を展開。MICHISHIRUBE をテーマに自然からとってきた材料からストーリーをみつけるようにして作品を作ってみた。いままでオリジナルのストーリー(土地から得たもの)から形を作っることが多かったのでその天草での方法は私にとって新しい感覚だった。
素材を自然の中から採取。粘土に混ぜるためにつぶしたり、砕いたり。その作業の中にはいろんな時間(森の中でどんぐりが土になる時間、貝が白い砂になる時間)が凝縮されていて脳の中のいろんな記憶を刺激するようだった。
またそれらの素材が一体なんであるか分からないものが多かった。木の実、どんぐり、貝といってもその種類も豊富だし、特性もさまざま。私は図鑑を買って読みこむかインターネットの検索ばかり。偶然出会ったその素材が持っている意外な特性を知るたびに作品が盛り上がっていった。

今までの作品には材料として金属板、針金、透明板、単カンといった既製品の人工物を使うことが多かった。それにはちょっとワケがある。そのワケは作者である私が持つあるSF的な光景への憧れである。ここでいうSF的光景というのは例えば映画E.T.に出てくる森の中に設置された通信機のある光景、スターウォーズの中の森や荒れ地にメカニックな人工物が登場する場面など、土っぽい気配の中にある科学と空想の人工物のある光景のことだ。またその光景は実は私の育った土地でよくみる光景と良く似ていた。山の中に突然現れる大きな鉄塔、だだっ広い畑に刺さっている元々はなんだったのかよくわからない不揃いの長い棒、古いビニールハウスに集められた廃材。「なにかつくれそうな気がする。何か起こせそうな気がする」感がでている場所があちらこちらにあった。その時、自然は背景であって素材ではない、となんとなく距離をとっていた。


とここでもう一度自然物の話に戻ってみる。背景としてみていた自然物、実はそれ自体に背景がある。かつていろんな人がもとめて採取し研究され導かれた背景だ。それがたぶん自然科学とよばれたりする。生物学、地球科学、天文学。そんな自然物と人が関わることでそこに創作がうまれる。
自然物はサイエンスによって解かれフィクションによってひろがる? なんだかそれこそSF的なんじゃないか??という気がなんとなくしてきた。その予感っていうは本当に予感でしかなかったのだけどそれが今回太宰府でのワークショップにつながっていく。

天草での展示を太宰府から見に来て下さった牟田さんに『自然に詳しい方どなたかいませんかね〜』と私は訪ねた。そこでピンと牟田さんの頭の中に浮かんだ人がいた。それが
「森と子どもとアーティスト」で一緒に講師をすることになった岩熊さんだったのだ。