「アート」とか「アーティスト」とかっていう言葉にとても消極的な理由

今さらだけど「アート」とか「アーティスト」っていう言葉に私は消極的な距離感をもっている。誰かに「アーティスト」って言ってもらえるのはすごくありがたいことなのだけど、自分で名のるかってところではまた別だ。ちょっと表現をはじめたころの10年前まで振り返ってみる。
私は高校3年のころから作品らしきものをつくり出した。もともとのきっかけは映像で作品をつくってみたいなってとこからはじまってその映像にうつるものをいろいろ考えているうちに段々立体をつくったりするようになっていった。そんなときずっと「アート」って言葉がまわりをうろうろしていてちらちらと目があう。そんな状態。

大学にいくと課題というのが出されてそれを自由に受け取ってえいっと作品にしてみる。私は作品をつくる上で「課題」というのに抵抗がなくてむしろ好きだ。
そのうち課題をもらわなくても「こんなのつくりたいなぁ、企画したいなぁ」ってなってきて押さえきれなくそうゆうのをどんどんつくったりしてみた。段々作ったものが増えてきてそれらを並べてみると、作品を作る上で軸になっているものだけはどうやら信じていいような気がしていてた。周りにも「これがアートだ!」とか「それはアートなの?」とか言っている人(といってもまだまだ狭いおまけに濃い世界だったけど)も議論する人もいなかったような。いなかったわけじゃないけどいたとすればそれは作品を前にしての議論で聞いていてそれもすごくおもしろかった。

まわりには今までまわりにはいなかった種類の人ばかりでそれぞれぐんぐんといろんな表現とか場を求めているような感じだった。その人たちの中の熱がじわじわと発散されていくような空気の中に自分もいた。そうそう、「アート」ってことばを追求するよりも「表現」っていうのに一生懸命になってた。自分の中で「うわ〜ちょっとすごい!どうしよう。これおもしろい」っていうのをやっとのことで表にだせるっていう。しかも表にだすっていうのはほんとに神経を集中させればさせるほど面白くって自分でも表に出してみてからさらにびっくりすることもある。
それとは別に「アート」ってのはスパーンとなにかを切るような気持ちよいもんなんだろうなという感覚が自分のいた環境で自然にうまれてたかもしれない。けどアートって言葉からなにかがはじまる、って感じはなかった。それより表現を競う感じがすきだった。アートって言葉との距離感覚てそんな感じになっていった。

そこから外と関わろうとするとすでに外側には「アート」って言葉がたくさんあった。「アーティスト」とか「アートプロジェクト」とか。私の中にあった「なにかスパーンと切る感じ」っていうも外の世界に確かにあって段々自分の感覚と外の感覚が混ざっていった。段々と自分が求めてきた「表現」ってやつがどうやらその「スパーンと切る」ための武器だっていう感じがしてきた。よし、戦うぞと。
それでいろんな現場と出会うことでまたさらに「アート」ってものの感覚がみえてくる。
ある現場で私の持っている武器を出してみるとその現場のいろんなものが波立ったような気がした。まざってうもれてたものの中からしゅっと出てきてみえてくるものがあったりして。そうゆうポジションになることを「アーティスト」っていうのかなと。

「アーティスト」、そんな曖昧な距離感にあるものを自分で名のっていいのかと思いつつ、名のったり名のらなかったり。「芸術家」のほうがなんかしっくりくる。日本語だからとか英語だからとかって違いじゃない。
「アーティスト」でしっくりこない理由はアートをする前提で名のっているような気がしてしまうところなのかもしれない。関わってくる人が増えれば増えるほど前提と結果の時差がうまれてくる。
一方「芸術家」はもうちょっと人と物事が同時発生的という感じがして他者が関わってきてもずれがないような。「術」ってとこが「表現の武器」と重なるのかな。

「アーティスト」て名のった人がすることがアートになるんじゃなくて、
ある人がすることが「アート」になった。その人が結果アーティストって言われるのかなって。だから職業として「アーティスト」っていうのはどうなんだろう。でも自分はアーティストかどうかってことより「表現の武器」をよく磨いとかなくちゃいけない。地面によく突き刺さる軸のようなの。
結局「アート」っ概念がすでにあるようなものじゃなくて全然あたりまえじゃなくて簡単なもんじゃなく見えるか見えないか、すごくきわどいものっていう感覚があるからその言葉を積極的に使えないのかもしれない。

という言葉自体が「アート」について既に語ってしまっているなぁ。眠れなくなりそうだから今日はこれで終わる。けど10年目にしてはじめて真面目に「アート」について考えた。きっとほかにもすごい数の人が同じように「アート」について考えたりしてるんだろうからちょっとそうゆう本とか読んでみようか、っていう気にもはじめてなってきた。

ほんとうはここ数日ワークショップの記事を書こうとしてたのだけどなんかずいぶんさかのぼって振り返っていたらこんな記事になってしまった。