自分と物との距離


物によってはすぐ窯詰めできるものもあったのだけど余分な釉をとる作業がかなり必要だった。午前中で、と思っていたけれどまた昼中かかってしまった。割れてしまったものがまた割れてしまったり。陶芸の作業場にいていつも感じるのだけど陶芸をしている人は空間を把握することに慣れている。
空間感覚がその場所に浸透していて自由にうごいるのがみていて面白い。
私はというと倒れそうなものを置いていた場所をわすれ道具をとろうとして割ってしまう。板の上に作品をのせて歩いていてドアのふちに板を当ててしまう。自分とまわりと物の距離感覚が足りてないようだ。

もくもくと作業をしていてちょっと書いてみたいことがいくつか浮かぶのでメモ。今回の作品制作とは直接関係はない。
・アーティストインレジデンスについて。
日本でアーティストインレジデンスの草分け的存在のアーカスプロジェクト(http://www.arcus-project.com/jp/)を初めて訪れたときのこと。2003年。作品をつくるって何なの?ということをさぐりながらマイペースに過ごし私にとっては最高にたのしい制作環境の中で自由にいろいろ作っていて頭もとっても柔軟な状態でそのアーティストインレジデンスというものにはじめて触れることができたのは今思うと大きなことだったと思う。このことについても天草の滞在を終えてからちょっと書いてみたい。

・私にとっての兄さん、姉さん的存在のこと。
天草にはいままで私の先輩方何名かそれぞれ縁を持っている。初めて天草に行く直前にも天草の話を散々先にされてしまい、耳を閉じたいくらいだた。そんなこともあって天草にくるとその先輩たちのエピソードをきくことが度々あっていろいろ大学時代が懐かしくなってさらにいろんな先輩たちのことを思い出した。
太宰府でのワークショップの記事に子ども達同士の関係について少し書いた。ちびっこにとってのお兄さんお姉さん、そのお兄さんお姉さんたちにとってもさらにお兄さんお姉さんがいて…ということを書いた。その先に私のようなのがいて、当然わたしにもお兄さんお姉さんがいるのだ。そんなことを安易に書き出すと甘えたようなことを言ってしまいそうなのでまた後日書くことにする。