父の日と草むしり

そんな名前がつけられた今日、すっかし手ぶらで自宅に帰ってきてしまったので父がやってる畑の草むしりをすることにした。それを父に伝えると「じゃあ里芋のとこやっといて」と言われたのだけど畑のどこに里芋がでてて、どれが里芋なのか判断できる自信もなくとりあえずいってみた。すると、割と広めのブースに記憶の中の里芋が生えていた。みたら思い出した。

実は畑の草むしりなんてしたことがなかったのでどれくらい丁寧にとらねばいけなくて、どこを歩いていいのかよくわからなかったけど適当に2列ほど終える。腰が痛くなりそうだと思ったけれど腰よりも手首がいたい。どうやってむしるのがよいかちょっと工夫しながら最終的に手のグリップをきかせながら両手でむしる。

そのうち父がやってきて鎌を渡した。つかってみると断然楽だ。最初から欲しかった。
でまた1列終えたあとにやっぱりこれ使って、と鍬を貸してくれた。え。だから最初からこれでよかったじゃん。と思いつつ。つかう。雑草を根こそぎとる、というよりも雑草にダメージを与える(根をきる。土をかけちゃう。)だけでもだいぶ違うらしく父いわく「そんなんでいいよ」であった。

ただ、むしっているときはひとつひとつ草をみながらなんて名前かなとか考えてみたり、どうやって根を張ってるのかなとか、草にくっついている虫を観察してみたりと目にはいる情報量はなかなか充実していた。

そして思い出したのは前回草むしりをしたのは去年の5月RQに参加し避難所のまわりを避難所の方といっしょにしたときだったということ。草むしりをしながらちょこっとだけお話をしてくれた。同い年くらいの女性が私にいってくれたことを草むしりするたびに思い出せるといい。